2008 スケッチ 紙に鉛筆

 

 

 

2008.3,19

 

腰痛克服の為に朝起きて即散歩というのを始めた。チョッチとのお散歩ロードを歩くのが怖くて(また悲しくなっちゃうに決まってるから)なかなか歩けなかったのだが、いざ歩いてみると悲しい気持ちより、チョッチとの一体感みたいな不思議な感覚があり、毎日の楽しみとなった。

小さなクロッキー帳を片手にちょこちょこスケッチしながら犀川縁を歩く。これから様々な花が咲いてくるだろう。

ところで15日から17日、二泊三日で上京してきた。15日はまず水戸にいって市立博物館で寺門さんの企画した明治時代の水彩 画家五百城文哉(いおきぶんさい)の高山植物写生図の展覧会を観てきた。

数年前の展覧会の時にカタログを送っていただいており、是非一度本物を観たいと思っていたので、今度こそはと出かけっていった。予想に違わず素晴らしい絵だった。

歴史の中に埋もれていたこの作家であったが、十数年前寺門さんが企画された小さな展覧会とその時に作成された冊子がきっかけになり海外に散っていた作品が日本に戻ってくるような事もおこり、少しずつ光りが当たり始めた、寺門さんから様々な経緯をお聞きしたが、学芸員の果 たす役割の重要さというものを改めて教えられた。一人の埋もれた作家に光りが当たることは、明治美術全体に対する評価も微妙に変化させていくことにつながる。それはまた現在の日本の状況にも影響を与えて行くことでもある。地下水脈のように静かだが重要な仕事だ。

近年、美術館は指定管理者制度が導入されて展覧会が赤字にならないようにというような目先の数字が最優先され、このような地道な活動がなおざりにされる方向にすすんでいる。あと何十年か過ぎたときに、日本の美術館にとって失われた何十年にならなければよいが、、。

展覧会時に作成される印刷物の重要さに関する寺門さんのお話も大変参考になった。作家の業績を辿るのは残された印刷物による記録しかない。作品のデータや出品目録が大変重要な資料になるので、案内状一つでも記録的な価値のある作りになっていなければ、展覧会後の価値は著しく減じてしまうという。

とかく作家は案内状もかっこよさ重視になりがちだが、展覧会は終わってしまっても印刷物は何時までも残る物である。そこに関する意識もプロとアマを分けるんだなと思った。最近はWEB上の記録もあるのだが、やはり印刷物は小さな物でも大切にしたいものだ。

今回の二泊三日はかなり濃い内容だったので今日はここまで。

今日のスケッチはお隣でかっている黒猫の黒ちゃん。朝の散歩で我が家から少し離れた場所にたたずんでいるところをちょこっと描いてみました。相変わらず次ぎのページに描いた絵が透けて写 ってますが。

 

 

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