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光の花へ
山梨俊夫(山梨県立近代美術館)

か たちの始まりには、いつも花がある。それも漠然とした花ではない。その花にはきまった名があって、画家はいくつかの花を好む。トルコキキョウ、グラジオラ ス、スイートピー……。画家は花から離れず、花を見つめつづける。そうはいっても、花を見る眼差しは一様ではない。小山利枝子は、学生時代とそれに続く時 期に試みた、表現することについての方法意識の強い仕事をしばらく中断していた。その仕事は、いま続けている絵画に比していえば、既成の絵画の枠組に捕わ れてはいけないという別 の捕われが色濃いものだったともいえる。中断を経てのち、ふたたび始めた仕事は、ひどく素朴な動機に基づいている。花は美しいという感動を基点にしてい る。
この感動は、ほとんど誰もが否定しない。もっとも共有されやすい類いのものだから、底が浅いと思われ、いまさらのように語られることは滅多にない。まして や絵画にそれを移し替えるとなると、わけても今世紀に入ってからの絵画では、そういう類いの感動とすぐさま通 じ合うような単純明解な回路は避けられる。しかし、花の美しさも、体験の表層を引っ掻く程度の日常的なものとは違い、個人的な体験の探い所に根をもってい るならば、絵画の根拠となるのに十分な力をもつだろう。もちろん、それにしても、花の美しさはそのまま絵画にはならないし、「絵画の美しさ」にはならな い。
この画家は、花を描くことを始めたときから、花への感動を根拠にしつつ、絵画のありようへの意識を潜ませていた。別 の言い方をすれば、いくら花を美しいとは思っても、彼女にとって花は眺めやるものではなく、近づくものであった。花が絵画になる間合いを自分なりに手に入 れるために、画家は身体ごと花に近づいていく。そして花は巨大になる。ただ、始めのころは、巨大化しても、花はまるごとの形を備えていた。
以前の作品では、額装で外見を飾ることもなく、描いた紙を故意に無造作に壁に留め、その上に脱色された花が描かれていた。そこに画家は絵画の形式への意識 をうかがわせてはいたが、個人的な体験としての花への共感から、それを絵画自体の構造へと転化する意図を伝えるには力弱かった。それが、ある時期から花と の距離はさらに縮まる。すると逆に心理的な関係のうえでは花は後退し、絵画的な要素が支配的になってくる。花になお近づき、花を通 り抜けてその向こうを見る眼差しが息づく。花は、絵画に必要な形の始まりにしか過ぎなくなる。そのことによって、絵画は絵画自体の息遣いを始める。この画 家の仕事はいま、そんなふうにある。
花が抱えるさまざまな形は、花だけのものではなくなる。たとえばこの画家は、そこに山の稜線のゆるやかな起伏を見、絶え間なく変幻する雲を見る。湧きだす 水のようでもあれば、ほとばしる水の速さを乗せることもある。そしてなによりも花弁のやわらかな物質感は失われ、それはもう花ではなくなり、代わりに光の 層が現われる。画家は、最初に花から形を借りながら、光をこそ描くようになった。それも生命やエネルギーの表われとしての光である。雲であっても水であっ てもいい。それらはすべて、絵画のなかで光に化する。
小山利枝子は、三年ほど前からそんな方向に歩みだした。そこにはもう脱色された花はない。光で透けるような透明感を伴った強い色彩 が薄い層をなしてゆらいでいる。その動きは、むしろ激しく、溢れるように、ときには上昇するように運動をやめない。面 は、色彩を乗せた筆の勢いそのものでつくりだされる。大きな画面に向かって、筆勢に身体をあずけるとき、光は、画家の内部からやってくる。だから、花を見つめるときもそうだが、花を通 過して山や雲や水を見出すときも、じつは画家は、自分の内心を採っている。自らのなかに外側の形と照応するものを見出し、それを取り出す内心にあるものが、特定の感情や特別 の意味づけを担わされているというのではない。おそらくもっと直覚的なものだ。それを絵画と名づけてもいい。
確かに花そのものを描くことを止め、エネルギーの放射や光の流動と形容され得るものを表わして、なおかつ生命の比喩としても語ることのできるこの画家の絵 に、意味づけがないとは言えない。それでもやはり、元の形がそぎ落とされ変容する途次で、形は何か具体的なものを表わすより、絵画自体のものになるように 錬成されていく。
画家は、かたちの始めから絵画の生成へといたる過程に自らを存在させ、その生成を楽しむ。そして、たとえば「光の花」「月の泉」「天空の器」といった新し い作品に見るように、絵画の内側から光が生まれてくるのを待ち構え、受け止めて、絵画自体の語りかけが、自らの内部と外部とを連絡させ、いっそう広大な領 域に届くことをくわだてている。
個展リーフレット

小山利枝子個展
1995年3月31日~4月28日
スカイドア アートプレイス青山



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