HOME BACK

響きと祈り
寺門寿明


 ひとつの断章から始めたい。以下はかつてある展覧会に寄せて私が書いた文章の一節である。



 人間存在というのは、あいまいで、あやふやで、そして何の意味もなくただそこにあるだけのものなのだ。人は、そのことをありのままに受入れ、引き受けて生きていくしかない。というのがジャン・ポール・サルトルにおける実存生義の私なりの解釈である。
 まだ若くてアイデンティティの問題で頭がいっばいだった私は、このサルトルの一撃によって思わず呻きながら腹を押さえてうずくまり、少し吐いて、そしてそのあと、何だかほんのちょっとすっきりした。
 表現することによって自分の生の証しを求める、というのはょく耳にする台詞だが、それは少し違っているような気がする。生とは意味のあるなしに関わりなく、ただそこにあるだけのものなのだから。
 フランツ・カフカは、「書くことは祈りの一形式である」と言った。生前はいっさい作品を発表することなく市井の一小市民として生きながら、小説を書き続けた作家の言葉である。
 私の敬愛するある画家は、かつて「美術というのはおまじないみたいなものだ」というようなことを言った。どういうつもりで言ったのかはわからないのたが、私はさっきのカフカの言葉に重ね合わせるようにしてこの台詞を了解した。
 美術というのは、われわれが、寄る辺ないわれわれの生を生きていくためのお祈り、おまじないのようなものなのではないか。そのことによって生自体が意味を持つわけではないのだが、それでも思わず口をついてしまうような祈り……。
 (「六つのダイアローグとひつの断章」『6つの座標展カタログ』1995年)



 1990年の前後、私はひどく消耗していた。ちょっとした挫折を味わい、職場が変わり、体調を崩していて、そしてとにかく先が見えなかった。
 今振り返ってみると、ちょうどそのころ美術をめぐる情勢もひとつの変わり目を迎えていたようだ。空騒ぎから沈静、ないしは低迷へと向かうような……。

 二木直巳と小山利枝子の作品に私が前後して出合ったのは、ちょうどそのころのことである。二人の作品は素晴らしく良かった。まったくタイプは違ったが、どちらも私の内面 に強く直接的に訴えかけてきたのだった。
 二木の作品は、1989年のある日銀座のなびす画廊で見た。そのときのことを私は忘れられない。
 横長の白い紙に施された濃淡の帯。それがいったい何なのか了解できぬまま近づくと、そこに幾層もの線の集積が見えてくる。鉛筆による無数の線の上を視線がさまよう。作品の前で私はしばし呆然としてしまった。
 小山の作品を見たのは、それより少し遅れて1991年か92 年に銀座のコバヤシ画廊で開かれた個展でのことだった。地下に下りていくコバヤシ画廊の狭い階段を抜けたその先に、彼女の大きな作品は発光するように淡い色彩 を輝かせていた。
 その色彩は抽象的であり、うねりながらただ存在するためだけに自律的にそこに存在していた。官能的な色彩の波に身をゆだねながら、私はこれこそ絵画のみが提示できる色彩 なのだと実感していた。



 私にとって美術とはつねにある解放をもたらしてくれるものであった。
 思春期の私を押しひしごうとしていた社会や体制の圧迫感を相対化してくれたのも美術(そして文学)だったし、社会に出てから自分の認識や感覚が隠者化し ていくことに気づかせてくれたのもやはり美術だった。そこには何か現実とは違う原理があって、「真実」へと通 じる入り口を垣間見せてくれるのである。
 二人の作品を前にして私は、自分をからめとり、そして消耗させていた現実原則から解き放たれていくのを感じていたのだった。



 二木は意識的に紙と鉛筆に素材を限定している。紙の上に、鉛筆による線を何層にも重ねていく。それは色彩 の限定であると同時に技法の限定でもある。
 きわめてデリケートな表情を持ちながら、その画面には一種の強さがある。ある意味ではきわめてコンセプチュアルだが、また同時に肉体的な要素も盛り込ま れている。そしてまたなにより理性的であると同時に感覚的でもある。そのような相反する絵画の指向性を含み込んで非常に豊かな空間がそこにある。                    -
 とりわけ興味深いのは、素材と技法の限定ゆえに、非常に即物的な外観を備えてはいるが、そこに微妙な奥行き感、つまり一種の絵画的イリュージョンが生じていることである。これは特異ではあるがまぎれもなく絵画なのである。
 さて二木のモノトーンで一見シンプルな作品とはまったく対照的に、小山の作品は、色彩 に満たされていて、技法上も絵画の既成のイディオムを踏製しているように見えなくもない。
しかし小山の作品における色彩の用法は、私にはずいぶん限定的に見える。また一応花をモチーフにしているとはいえ、花の造形にほとんど頼ろうとしていない。そこには質感を持った色彩 が方向性を持って浮遊しているだけなのである。
 作者はイリュージョンを超えてあるイメージの物質化を目指しているらしいが、私にはこのイリュージョンによる絵画空間が十分に魅力的に映る。
 さて私はこの二人に絵画に対するストイックな態度という点で共通するものを感じるのである。それも絵画を単なる平面 に還元してしまうのではなく、伝統的な絵画のイリュージョン性を許容しながら、手法を限定している点が。



「表現」という言葉の字面のせいで誤解されやすいが、表現としての絵画とは、必ずしも内面 のイメージをそのまま「表に現し」たものではない。作者の内なるイメージが核になっているとしても、作品はけっしてそのイメージと等価なものではない。
 むしろ、それまでどこにも存在しなかった新たなイメージがそこに立ち現れてくると考えるべきであろう。作品は作者を超えてそこにある。作品を造る過程で の肉体と素材と手法との反応がそれをを引き起こすのである。作家と作品とは、言うなれば、その間に肉体と素材と手法を置いて響き合う関係にあると言える。
 1980年代は作品を作るということに関して「何でもあり」の時代だった。技法や技術はもちろん、ジャンルからさえ美術家たちは自由になった。
 ニューペインティング、パフォーマンスから「超少女」、「ポストもの派」と様々なタームが飛び交っていたが、それが意味していたのは作家とその作品との 間の回路の際限のない肥大化であったろう。だがそれによってもたらされたのは、結局表現の希薄でしかなかったのではないか。
 二木と小山の行っているのは、いわば作品との間にあるものを増やすのではなく、反対に限定化することである。
 その成果としてもたらされた豊穣な空間は、いずれも絵画が本来備えていたはずのものである点で共通 していると言えるだろう。
 その意味で二人の仕事は今後の絵画のありようを考える上でも示唆的である。そのことを思い併せると、1990年前後の美術状況の転換期にこの二人の作品 に出会い、それが輝いて見えたのは出来すぎた偶然のようでもあり、またけっして偶然ではなかったような気もするのだ。



 ともあれ二人の作家は社会と直接的につながることなどことさら意識することなく、日々作品との間の個別 の現場で、鉛筆や絵筆を動かし続けているにちがいない。それは非常にシンプルな営みであるだけに、彼らの制作の姿のイメージは、私には生きることそのものに重なって見えてもくるのである。
「響きと祈り-生としての絵画」展リーフレット

「響きと祈り-生としての絵画」展
1997年12月15日~25日
そうま画廊/水戸



BACK