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横山勝彦(練馬区立美術館)
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小山利枝子は、花に魅せられた画家である。しかし野山に咲き乱れる具体的な花を描いているわけではない。当初は花の外形をおずおずと描いたこともあったが、いまや花に触発され、花に見守られながら、花と競うような独自の絵画を描こうとしているのである。 学生時代から観念的な作品を発表していた彼女は、しばらくの中断の後、ふと見た花の美しさに導かれるように、絵筆を取ったという。美術学校で教えられた 方法や、流行の観念や、絵はこうでなければならないという既成槻念にことさら反発するまでもなく、自分の絵を描くこと、一人の表現者としての原点に復帰す ることを、花によって促されたのである。そして彼女は、花の外形を探るように絵を描きはじめた。この頃は、花をテーマとしながらも、まるで色と形による表 現である絵画の可能性を一つ一つ確認するかのような作業であっただろう。まもなく部分をクローズアップしたような作品に展開する。花びらでもあり、また遠 くの山並みのようにも、波のようにも見える形が登場する。すでに花に限定されない複雑な形を発展させ、展開する段階に進んだ。初期の説明的な要素は姿を消 して、艶やかな色彩 と自由に展開する形による作品、つまり彼女独自の絵画の方法が定まったのである。 現実の花の克明な写生を日常的に繰り返している彼女は、画面に向かう時、ほとんど水のようなアクリル絵具を何度も何度も塗り重ねていく。そのような時間の集積のなかから、艶やかな作品が徐々に現れてくることになる。そして出発点の花の存在感と画面 の強度が釣り合った時、作品は完成することになるだろう。 近年では油彩や水彩を使用した無定形な小品やスケッチを大量に制作していたが、その経験のためか、近作では著しい展開を見せている。画面 はより抽象的になり、もはや花の姿を捜すことは難しい。しかも、それぞれの形は画家が描いたというよりも、むしろ深い空間のなかで自然に生まれたかのような自由な表現になっているのだ。筆触から生まれた形が画面 という空間を浮遊し、呼吸し、躍動する。画面は混沌としてはいるが、何かが生まれてくるような濃密な空気に満ちている。色と形が自己展開していくような新作を見ると、画家は確実に新しい段階に達したのではないだろうか。画面 はより艶やかで、豊かに、また伸びやかになった。私は、画家の今後を見続けたいと思う。 |
2000年7月 「Recent Works of Koyama Rieko:1997-2000」 |
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