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小山利枝子  生命のコスモロジー

中村隆夫(多摩美術大学助教授)

 小山利枝子の作品は美しい光の海であり、そのゆらめきが会場の空間全体に伝播し、私の皮膚を震わせる。会場に一歩足を踏み入れた瞬間の第一印象である。光はブルー、赤、薔薇色、黄色、緑とさまざまなヴアリエーションを奏で、私の視覚は夢幻世界をさまよう。
 アクリル絵具による色彩には輝きがあり、それが繊細なタッチで施されている。だが繊細とは言え、神経症的な震えはまったくなく、柔らかな曲線を描いて画 面 の中に消えていったかと思うと、再びふと現れてくる。皮膚でこのゆらめきを感じ、光の心地よさに視線を任せていると、ふとこれは宇宙だと思う。日常性の煩 雑さから解放されて、静かに波間を漂っているかのように、羊水に守られた胎児であるかのように、宇宙を揺りかごにする。
 大学時代にはインスタレーションを制作し、いわゆる現代美術のアーティストとして出発した彼女は、ある事情により作品制作を中断した。1984年頃から 絵画制作を開始するようになった彼女は、現代美術のコンテクストに縛られることなく、何かを見て描いてみたい、そして自分を表現してみたいと感じた。幼い 子供を連れて散歩しているときに、ふと見つけた道端の花。大人の世界では通 り過ぎてしまうような何気ない花を、子供の無邪気さに誘われてしげしげと眺め、花を描いてみよろと思い立ったのが、今日の小山利枝子の作品の出発点であ る。
 だが現代の作品に至るまでに、始女は幾つもの発見をしなければならなかった。何気ない花は、私たちの日常性では忘れ去れてしまう存在である。それをしげ しげと眺める。30歳の頃に夫を亡くした彼女は、哀しみ、悲嘆と幼い生命に対する愛おしさが入り交じつた日々を過ごしたことであろう。こうした時期に、彼 女はその何気ないものに目を吸い寄せられ眺め入ったのである。
 ガウディは自然には直線がない、だから自分の建築には直線はないと言った。花を仔細に眺めていくうちに、有機的曲線の宝庫というべき花の構造に、彼女は 自然界の対応物が見えてくるようになった。花には幾千もの山の稜線がある。そしてふを空を見上げると、夕焼けが空を彩 っている。この限りなく地上的である花、その微細な部分を眺めることによって発見した地上の空間の拡がり、そして空には夕焼け。
 ターナーは空に無限の表情があることに魅せられ、日付と時間の入った空の表情の移り変わりをデッサンした。印象派の画家シスレーもそうだが、空に魅了さ れた画家は多い。雲の様子とともに、光も変化する。空の光が私たちの心の琴線に触れる瞬間がある。彼女の作品から輝きだす光は、空の光である。彼女の作品 には『夜明け前』『移された用の夜』、『桃色の月の出る夜』など、空の状態を暗示するタイトルが多いのもそのためである。
 彼女はミクロの世界へと入りこみ、山並みなどの自然界を発見し、そしてさらにマクロの世界の発見へと至った。幾千もの山の稜線を抱え込む微視的な花に、 巨視的な存在としての空の光が施される。ここにはミクロコスモスとマクロコスモの呼応という、神秘的な出会いが行われている。錬金術の「哲学の結婚」にな ぞらえて、「神秘の結婚」と言っても良いかもしれない。それは決して観念的なつくりごとではなく、彼女の抱えている哀しみや喜びのなかに発見された、宇宙 の壮大な拡がりである。
 最初の印象では自然のなにものも拠り所としない抽象絵画のように思われるが、彼女は花を仔細に観察し、写 実的なデッサンを繰り返す。こうしたプロセスを経て、この壮大な「神秘の結婚」が成就する。小山利枝子は個人的なものから出発しながらも、決して感傷性に 留まることはない。だから感動したとしても、決して夕焼けの空そのものは描かない。彼女の作品は私たちの生命を包み込む宇宙そのものであり、そのゆらめき は生命の絶え間ない変化の運動であり、宇宙の呼吸となっている。

2000年10月
『展評 第5号』アートヴィレッジ発行



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